元禄文化とは❔

徳川綱吉が治めていた元禄時代は、経済が発展し、町人や豪商を中心とする文化が上方大阪や京都)で芽生えました。これを元禄文化といいます。元禄時代の文学は、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門など、上方の町人が中心でした。


江戸時代前期の、上方の町人が中心の文化」であることをしっかり覚えましょう。そのうえで、人物や作品名を見ていきましょう。


井原西鶴は、浮世草子とよばれる小説を記しました。浮世草子とは、現実の世界をもとに、お金や愛にとらわれる人々が自らの力で生き抜く姿を描いた小説のことです。井原西鶴の作品には、『好色一代男』『日本永代蔵』『世間胸算用』などがあります。

松尾芭蕉は、自然や人間を見つめて『奥の細道』を記しました。また、「古池や 蛙飛びこむ 水の音」「夏草や 兵どもが 夢のあと」などの俳句をのこしました。

近松門左衛門は、義理と人情の板挟みに悩む人々の姿を、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本で描きました。主な作品は『曾根崎心中』です。



化政文化とは❔

化政文化は、江戸後期とくに文化・文政時代に栄えました。この時代は江戸(現在の東京)が繁栄し、都市に住む人々によって文化が広められました。さらに、出版や教育の普及、五街道などの道の整備によって、全国各地に文化が伝えられていきました。そのため、化政文化の中心は江戸ですが、元禄文化よりも全国に広がっていることは知っておいてください。


それでは、化政文化の中身をみていきましょう。まずは文学です。庶民の生活を生き生きと描いた滑稽本が盛んになりました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』がその代表です。また、歴史や伝説を題材とした小説も人気を集め、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』などが読まれました。さらに俳句では、与謝蕪村小林一茶が登場しました。


続いて美術です。寛政期には美人画を描いた喜多川歌麿や、役者絵を描いた東洲斎写楽などが次々と浮世絵の版画を創作しました。また、天保期には葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『東海道五十三次』など、風景画が流行し、旅への関心も強まりました。




元禄文化と化政文化の語呂合わせ

さて、元禄文化と化政文化の大枠を理解できましたか。理解したあとは暗記をしなければなりません…。

そこで語呂合わせの登場です。

【元禄文化】
元禄は、近い日を待つ
松門左衛門・原西鶴・川師宣・形光琳・尾芭蕉 )


【化政文化】
火星(化政)に来たよ、じゅうたん買っとこ

火星⇒化政
来た⇒喜多川歌麿
よ⇒謝蕪村
じゅ⇒返舎一九

うた⇒川広重
かっ⇒
飾北斎
と⇒
洲斎写楽
こ⇒
林一茶



実際の中学入試にチャレンジしてみよう

元禄文化と化政文化について、語呂合わせを駆使しながら覚えられたでしょうか。 最後に中学入試で出題された問題を載せておきますのでチャレンジしてみてください!


【問】
元禄文化と化政文化のそれぞれの中心地はどこですか。その組み合わせとして最も適切なものを、表1のあ~えから選び、記号で答えよ。(2011年 浅野中)


表1
記号元禄文化化政文化
江戸
大阪(上方)
江戸
江戸
大阪(上方)
江戸
大阪(上方)
大阪(上方)


(解答は一番最後に記載しています。)










【解答】 う